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murawaki の雑記

2010-03-13

懐疑論者の勝利

移動中にどうでもいいことを思い出した。とりあえず書き出してみる。中二色全開の題をつけて。

お題は WikipediaWikipedia は編集方針として NPOV (neutral point of view) というのを掲げている。NPOV とは何か。Wikipedia が提示する説明はうんざりするほど長い。延々と続く争いを反映しているのだろう。一文で要約するなら以下の通り。

It requires that all majority- and significant-minority views be presented fairly, in a disinterested tone, and in rough proportion to their prevalence within the source material.

こういう方針を掲げていれば争いが解決するか。そうではないのは現実が示す通り。争いはいくつかの類型に整理できると思う。その一つとして、争いが対称でない場合を挙げてみる。具体例はなし。いろいろ鬱陶しそうなので。

想定する状況。ある言説を無邪気に信じている人がいて、そこに懐疑論者が乱入。「無邪気に」という点が大切。肯定論と否定論が長く論争している状況ではない。そういう場合であれば、論点整理が行われているはず。「立場は違うがそういう見方がある」と NPOV に沿った編集ができなくもなさそう。

問題は、懐疑論者を認識していない場合。議論が対称ではない。懐疑論は色がついているのに対し、元の言説は無色。だいたい「懐疑論者」の対義語を思いつかない。そもそも人間の言語活動には maxim of quality というのがある。嘘ばっかり他人に話したり、聞かされていては経済的じゃないから、発言は正しい (と発言者が思っている) と解釈される。*1疑うという行為の方が色のついた特殊な行為。疑う対象が存在しないと行えない。一方信じるという行為は自然な状態。疑うという行為を想定する必要がない。疑う方は必ず元の言説を知っているが、反対は必ずしも成り立たない。

両者を同じ場所に放り込むとどうなるか。NPOV があるので、両者の主張が紹介されることになる。もちろん、扱いの比率の問題があるし、双方が粘らなければ、片方の言説で塗りつぶされるという事態が起きる。では、両論併記は当事者の目標とくらべてどうか。懐疑論者にとって、これは想定された状況。目的を達成したことになる。一方、元の言説からすると、寝耳に水の状態。場合によっては original research に見えたりするだろう。懐疑論者の居場所を許した時点で目標から外れている。目標を達成することを「勝つ」というなら、懐疑論者が一方的に勝つことになる。この状況は気に食わないということで、元の言説の主張者は懐疑論を一掃しようとする。かくして争いは止まらない。

Wikipedia の不幸は、潜在的に衝突しそうな人たちを同じ場所に招き寄せることにある。Wikipedia の機能は場所の提供。ある題名の記事は一つしかない。互いに知らん振りをして棲み分けていれば幸せな人たちを、一つの記事という同じ場所に集める。そうすると、争わないわけがない。それはまた別の話。

*1:これは肯定文と否定文の関係に似ていると思っていた。肯定文がデフォルトの状態。否定文は肯定文に否定のマーカをつけて作る。肯定文が無色で、否定文には色が付いている。しかし、この議論を maxim of quality と関連付けるのはまずい。論理式に否定が入っているか否かと、論理式の評価値が真か偽かを混同しているみたいだから。maxim of quality はあくまで評価値に関する議論。